大阪から石巻へ
2016.11.15
3月13日(日)。
大阪大谷大学から7名の学生さんと2名の先生方が、
ピースボートセンターいしのまきの「視察交流オーダーメイドプログラム」にご参加くださいました。
参加した学生さんたちは将来体育の先生になるために勉強をしている方々で、
東日本大震災の時に、学校の先生方はどんな対応をしたのか、どんな対応が必要とされているのかなどを学びに来ていました。
石巻の市街地の中では一番甚大な被害を受けた南浜町で、
震災から一ヵ月後に地元の方が建てた「がんばろう石巻」の看板のところからスタートして、
この半年くらいで急激に工事のスピードが速くなった門脇を抜けて日和山のキツイ階段を登って神社のあるてっぺんまで歩くまちあるき。
当時、町の人たちが実際に暮らしていた、そして避難した場所や道。
— 津波の高さを示した「6.9m」の文字を見上げる。
想像しようとしても到底想像できないその数字に、一瞬言葉をなくす。
以前はあちらこちらに家が立ち並んでいただろう場所には、
今は工事のための砂の山が点在している。
その間を、通行止めの看板を避けながら進んで山の上まで —。
その後は山を反対側へ下りて、公益社団法人 みらいサポート石巻さんの語り部プログラムに参加し、
当時小学校の教頭先生をしていたという方の語り部を聞きました。
地震が起きた時、どのように生徒達を避難させたのか。
どんな対応や準備が必要とされたか。
将来教師になる学生さんたちにはとても貴重なお話だったと思います。
震災から5年半が経った石巻の被災エリアは、南浜・門脇のように「何もないから震災前や直後の姿が分からない」場所か、
復興公営住宅など新しい建物が立ち並び道路も綺麗に舗装されたからこそ「震災前もしくは直後の姿が分からない」場所に分かれます。
だから、見る人の想像力がとても必要です。
月日が経てば経つほど「分かりづらく」なっていきます。
それでも、その場所に自分で立つことでしか感じられないものがあり、
被災した方の生の声からしか知り得ないことがあります。
5年経ったら経ったなりの「知るべきこと」があります。
このブログを読んでくださっているみなさんには、
「今さら」と思わずに、ぜひこれからも被災地へ足を運んで欲しいなと思います。
(写真:がんばろう石巻の看板に併設している「南浜つなぐ館」にて)